普段手に取らないジャンルの本だからか、結構びっくりぽっくりしながら読んでます。
そんなびっくりエピソードから。
今日読んだところでは、5代将軍の綱吉と部下の衆道についてのエピソードが登場。衆道って漢字すら読めなかったんだけどもちょっと調べてみたところによると衆道ってのは男色のことで、もっとわかりやすく言えば肉体関係ありの男同士の同性愛のこと。
ええっ!将軍ってそういうのありなの??なんて、ものすごく俗な反応をしつつWikipediaを開いてみてまた自分の知らない世界に驚愕。
織田信長と前田利家・森蘭丸ら、武田信玄と高坂昌信、伊達政宗と片倉重長・只野作十郎、上杉景勝と清野長範などが有名な例としてあげられる。歴史を知らない僕だけど、信長、信玄、正宗くらいは知ってる。イメージ変わるなぁ。
(中略)
このように日本においては近代まで男色は変態的な行為、少なくとも女色と比較して倫理的に問題がある行為とは見なされず、男色を行う者は別に隠すこともなかった。
衆道 - Wikipedia
でも当時は倫理的に問題なかったとも書いているわけで、ああこんなことでイメージ変えちゃいかんのか、ふつーかそうなのかと無理矢理納得。
Wikipedia内でリンクをたどると、歌舞伎と男色との関係なんかもあって、また目から鱗。
当初歌舞伎は女が舞台に立つ女歌舞伎が許容されていた。しかしながら彼女たちは売春を兼業していたため、風紀を乱すとして1629年徳川幕府により全ての女芸人が舞台に立つことが禁止されると、元服前の少年による「若衆歌舞伎」が盛んになった(若衆歌舞伎は女歌舞伎が禁止される以前から、後者と並行して人気を博していた)。彼らもまた売色をしていて男女両方を相手にした。1652年に若衆歌舞伎も禁止されると民衆は必死に再開を嘆願したため、幕府は条件をつけて許可した。その条件とは月代を剃った男らしい髪型にすることと演劇を中心として音楽や踊りを控えることであった(これ以降の歌舞伎を「野郎歌舞伎」と呼ぶ)。この後も売色は廃れず、女役の男性役者である女形にとっては男性に抱かれることが必須の修行と考えられるようになった。こうして修行中の女形は「陰間」や「陰子」と呼ばれ、盛んに酒の席に招かれ客に身を売り、舞台に立つようになると「舞台子」と呼ばれた。
陰間 - Wikipedia
女形が男性に抱かれることが必須の修行であった。けれども現在までに男色は廃れてきたのなら、その移行期間があるわけで、「最近の若い女役は、男に抱かれてねぇからダメだ」みたいな時代があったのかしら。
この辺の価値観の変遷はおもしろそうだなー。
ちなみに今読んでるのはこれ。忠臣蔵初体験だけど、なかなか面白い。
わからない言葉がたくさんあるので、辞書をひきひき読んでるので、軽く読みたいんだったらもっと易しいのがあると思います。
加藤 廣
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おすすめ度の平均: 

4作目が一番つまらん
いくら何でも無理…
「片落ち」という言葉は昔からあります
「片落ち」はおかしい。「片手落ち」と書くべき

戦国時代から男色は、フツーにあったって思ってた気がします。
その理由は、戦場は女人禁制だから…とかそんな理屈だったような。。。
だいたいの大河ドラマとかで戦国時代の武将の近くにいる小さくて若くて端正な顔立ちした男の子ってほとんどそういう「お役目」のためにいるんだな〜って今でも思ってます。
一般的に知られてることなんだ
やっぱり中学高校と歴史の勉強を敬遠してきた僕は無知だなあ