
僕はいろいろなことについて、確固たる主義とか主張というものがないんだけども、そういうとよく、おまえはだめだなぁと言われるので、そのへんについて書いてみます。
いろいろなことというのは、育児とか、仕事とか、食生活とかまぁ生きているといろいろと選択していかなければならないいろいろなことです。
主義・主張があまりないと口にすることで直接の批判をこれまでに受けたのは、僕に指導するような立場にある男性からでしたが、情けないとか、まぁそういうわけで批判されるのです。
「家族までいる男のくせに、自分の意見もないなんて情けない、プライドを持て」とかね。
そういわれると、ああ怒られているな、嫌われてしまったかなと、それなりにへこむわけですが、まず、僕自身が主張を持っていない今の自分についてどう思っているかというと、あまり良い状態ではないなと思っています。
はっきりとした意見を持ち、それを主張することは、そのテーマに関する自信の表れだと思うのだけど、自信を持てるって言うことはその裏付けとして勉強したとか、経験したとかまぁそういう何か根拠があるんだろうなという思うわけです。
逆に言えば自信がないってことによって、様々なテーマに対してよく理解していないままの自分の姿がはっきりと示されるので、あまり良い状態ではないと思うというのだと思います。
そういうあまり良い状態ではない「主義・主張がない自分」になぜとどまっているかというと、一つはいろいろなことを勉強してみてはいるけれども、そうそううまく身につかないからなのですが、一方で「主義・主張がある」と安易に口にすることに恐怖を感じるところがあるのです。
その恐怖は、無知に対するものか、あるいは無知であると評価されることに対する恐怖か僕にもわからないんだけど、はっきりと何かを言い切ることでそれが明確に否定されることがとても怖いのです。
僕にだって、ときには意見くらいあるのです。でもそれが論理的に否定されると、すごく悲しいじゃないですか、ダメージを受けるじゃないですか。だから、主義・主張なんてないと言って、黙っているのです。
たまに勢いでこのブログに主張とか意見めいたことを書くことがありますが、そこにどんな形にせよコメントが付いて、それが僕の意見を否定するもので、しかも内容が難しくて僕に理解できなかったり、理解できて明らかに正しいことが認識できたりすると結構なダメージなのです。
それでまたしばらく意見など言うのではなく、ただの日記や何が欲しいという記録になったりして、でも言いたいことがまた出てきて書いてみたりとか、そんなことを繰り返しているのです。
憧れるのは、完全に何もかも知っていて、誰に何を言われても隙無く自分の主張を通せるような人、なんだと思います。
いろいろな事件、ニュースや人の気持ちの動きだとか、もうあらゆることについてきちんと言葉で表現して、それで人を納得させて尊敬を得たい、パワフルな言葉を持つ人になりたい、のかな。
そんな自分の憧れる姿すらよくわからんのだけども。
というわけで、主義・主張を持たないことについては、持てずにいるというのが実態なので、それなりになやみどころなのですよ。
育児について「子どもは絶対たたいてはいけない。/子どもには力を示してわからせる必要がある。」
仕事について「若いうちは、どれだけ長く働くかが大事だ。」
食生活について「バナナはいいんだよ、実際。」
そんな力強いけれども素直に納得するわけにもいかない主張を、これまで実在する人から直接聞かせていただいて、うらやましく思う一方で、主義・主張を持つことは怖いなとやっぱり思うのでした。
なお、この記事は自衛隊の偉い人が論文を書いて問題になっていることで、批判があることがわかっていただろうに主張をするというのは大変なことだろなと思って書きました。その論文の内容の是非はまーったくわからないけど。


世界一のスゴ動画
おきそうだし、選択肢があったときに自分が
どっちよりか、判断できればいいんじゃね?と思う。
主義主張がゆるい≒適応力がある
と読み替えてみる。
なんか気になるネタだったのでコメントしてみた。
何より適応力があることは優れているだろうと昔思ったから、今こうなってるわけなんだけど、そのことについてなんだかよく批判されるし、自分でも主義主張を持たないことについてそれが100%正義かって問われると自信がないところがあって、こんなことを書いたんだよ。
いろんなことについて思想の対立はないけれど、主義主張がないことそれじたいが批判の対象となるようで。批判されずに平和な時を過ごしたいのだけど、なかなか許されないみたいですわ。
まぁ、そんなに日頃思い悩んでるわけでもないんだけどね。
なぜここに辿り着いたのかは忘れましたw
さて、私が思うところ、主義主張を持ってる多くの方々っつーのもみんな大概偏った知識や思想によるところを多く感じます。
言ってみて、何か否定されたりしたら「ああそういう意見もあるんだなー」とか「へー、そうなんだ、勉強になったなあ」と軽く受け止めればよろしいのでは。というか私はそうしております。主義なんざ人の数だけあるんです!(←これも一つの主義主張)
控え目も結構ですが、思うところをぶつけ合うのもまた楽しいですよ。私が好戦的なだけかもしれませんがw
インターネットで公開しているので、ごくあたりまえの話なんですけどね。
さて、おがしんさんがおっしゃるように、みんなが偏った知識によって主義主張をふりかざしているんだろうなぁ、というのはまったく同感です。
でもそれは、「みんな」のせいかっていうと、そうも言えないかなとか思ったりもします。
例えば最近環境についての本を僕は読んでいるんですけど、そこでは「二酸化炭素は温暖化の主因ではない」なんてことが書いてあるんですよ。小学校の頃からそう教わっていたし、今でも日常的に聞くその情報が間違っているなんて、考えもしなかったっていうのが正直なところです。
まぁ、二酸化炭素が主因じゃないかどうかも、本を2冊読んだだけの僕にはわからないわけですが、そういった情報を得る前の人が「環境のために二酸化炭素排出量を減らす必要があるから、原因となるレジ袋は廃止しよう」と叫ぶのも仕方ないし、そういった情報を得た人が逆にレジ袋廃止運動がアホ臭いと主張するのも仕方がないことなのかなと思います。
主義主張を持ちたいと思いつつ、偏りを持つこと(によって批判されること?)への恐怖があり、得た情報を自分の主義主張に転換できない僕ですが、がしがし情報を得て、自信を持ってぶつけ合うことは、是非してみたいと思うことではあります。