今日は村上春樹に関する文章を少し読んで、あの、独特の、僕の言葉では形容しがたいのだけど、存在感があるとでもいうのか淡々と引き寄せられる文章が読みたくなって、自宅のデスク(と呼ぶほどのものではないのだけど、本棚と机とパソコンがあって僕の好きな場所ではあります)で午前0時から2時まで東京奇譚集を読んでいました。
そうすると、東京奇譚集にはジャズのエピソードなんかがあったりして、また流されてiTunesから適当なラジオチャンネルを選んでジャズを流してみながら東京奇譚集のページを繰ることになりました。
どんなジャンルのものでも、一番人気のあるものが自分の好きなものだということは、僕にとっては抵抗があることで、ときどきこんなきっかけがあって村上春樹を読むと、うわぁ最高だと思うんだけど、好きな作家は誰かと聞かれたとしても、きっと村上春樹が好きだと答えることはあまりないと思います。間違いなく好きなんだけど。
この、あまのじゃくな考え方は、自分が特別な好みを持っている特別な存在でありたいことの現れなのかなとか思うんだけど、正確なところどうした理由からそうなのかはわからないのです。
客観的にはごく普通の存在だと言うことは理解しているつもりなんだけども。
大学生の頃、僕は本をたくさん読む人に憧れていて、それで本を読んでみることにしたんだけど、それで読んでみたのがブックオフで105円でたくさん売られていた村上春樹だったような記憶があります。今は調子が良いと1日1冊の本が読めるようになったけど、当時は全然本を読み続けられなくて、何ヵ月かかけて1冊を読み終えて、ああ僕は読書家だなんて思ってたことを思い出し、今は文章を読むことが楽しくて読んでいて昔憧れていた何かになっているのかなと思いながら、見栄というか憧れのような気持ちで始めたのは、面白いことだなぁと我ながら。
いつも何かしら結論のようなものが必要だろうななんて思いながら、文章を書くのだけど、今日は村上春樹による「書くことに目的はない」に流されて、目的はなく、書きたいことを書いてみました。
なんのために書くか。目的なんてないです。ものを書くにあたってマーケットリサーチなんかもしません。No purpose. No market research. 自分のために書くだけです。僕は自分が何者か、何を考えているのか、書かないとわからないんですよ。賢い人は書かなくてもわかるのでしょうけれど。そう、書く目的なんてない。何を書きたいかに僕は集中する。僕は脳みそで考えるのではなく、指で考えるんです。ホロウィッツがピアノに向かうように僕はマッキントッシュのキーボードに向かう。村上春樹に会いに行く - プレジデント
リンク先、よかったですよ。
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表紙の猿の絵もよろしく{゚ω゚}エノザル
表紙のサルの絵ってなんだろう??わからないです。。